マンチェスターはいつも曇天

Manchester Cityについて。

0.自己紹介

 

皆さまはじめまして。曇天と申します。

なんで名前とブログタイトルが同じやの、という野暮なツッコミは不要です、読み進めていくにつれて露呈される脳の容量から察しがつくでしょう。

では一本目なのでグダグダと自分語り。

 

さて、このような時に何を書けばいいのか早速分かりませんが、例えば年齢や職業などプライベートな情報は求められているはずもないので、いつ、そしてなぜManchester Cityというクラブを応援するのか、という話をしましょうか。

しかしながら結論から言うと、これだ、というタイミングは特にありません。

愛すべき俺たちのアデバイヨルがグーナーを煽っていた頃、あるいはロビーニョがただの金メッキであった頃からサッカーは観ていました。

ただその時の僕は、プレミアリーグというややプロレス的な要素を含んだ、エンターテイメントとスポーツの融合を含んだ世界に胸をときめかす一介の学生でした。

故に当時のシティに対する印象は、粗雑な言葉を使えばネタクラブ。お笑い要員であり、ただ我が腹だけを膨らませた成金であり、はっきり言って強くなかった。

もしシティを応援する理由を捻り出すなら、放課後にいつも聴いていた名盤、MORNING GRORY... 或いはBe Here Now...Oasisが与える音楽影響的くらい。

 

そんなシティに対する印象が変わったのが、シティサポーター(それでもまだ僕はただのプレミアリーグのフリークだった)の胸に刻まれる栄光のAguero•93:20。あの時は仲良く親友とまだガラパゴスな携帯でかたやユナイテッドの、かたやシティの試合の詳細を逐一とメールで連絡しあっていたのだけど、バロテッリがゴールを決めてからQPRが残留のために後ろでパスを回し始めるまで僕は携帯を触ることもなく、感動に浸っていた。

11/12シーズンを境に、シティはビッグクラブの扱いを、僕の中ではされることになった。

 

しかしまだシティを応援することを決めたわではなかった。リーグの中の強豪チームでは、歴史を持つ他所の方が魅力的に映えた。

でも僕はシティを応援することを決めた。

なら、2012年から今まででシティはそれに足る歴史を積み重ねたか、と自問してもノーだ。

だけれど、ずっとプレミアリーグを観てきて確信したことが2つある。

ひとつは、このマンチェスターシティが、今その歴史をアメリカ議会図書館にある無数の本のように積み立てている最中であること。

そして、ふたつは、今のサッカー界における高い高い壁、すなわちバルセロナレアルマドリードのようなKings of Kingsの存在を、いずれシティが、シティを筆頭にプレミアリーグが突き破る将来性があるということ。

僕もまだ若い。健康に生きてたら、将来的に健忘症になることを加味してもあと40年くらいは未来を共にできるだろう。

マンチェスターシティには果てしない可能性がある。言うならば投資に近い感覚だ。これは反発を買う物言いかもしれないけど、株や仮想通貨のようなもの。

自分の未来をこのクラブに賭けて、共に応援していけたらいいな、と思います。

 

それではこの辺で。

Some Might Say.

誰が何と言おうと気にしない。

何度だって聴き込んだOasisの名リリックを、このクラブを応援する時の矜持とするよ。